マイカート
カートの中には何もありません。
生産されたその大半が北米に輸出され、アメリカの恋人と呼ばれたオースチン・ヒーレーは1950年~60年代、ジャガー、トライアンフ、アストンマーチンと並ぶ英国スポーツカーにおいて代表車種の1台でした。テールドロップの美しいスタイルは、1952年の処女作である100(ハンドレッド)から1968年の3000MkⅢまで大きく変わることなく生産された。
1959年にエンジンを2.6ℓから3ℓに排気量アップした事にともない、車名を3000(通称:ビッグヒーレー)に変更。ボディの全長と全高は初代マツダ・ロードスターとほぼ同等で、車重は1tを軽く超える程度。このボディに3ℓの直列6気筒エンジンを組み合わせていましたから、かなりパフォーマンスの高いスポーツカーであったといえます。さらに当時としては最先端のディスクブレーキをフロントに奢るなど、走る、曲がる、止まる、のトータルバランスも優れていました。それでいて、価格はライバルよりもリーズナブルであったことから大ヒット。また、その性能の高さからモータースポーツへも積極的に参戦し、初期モデルはトラフィックレースへ、中盤から晩年にかけてはラリーフィールドで好成績を残しています。1961年に3000MkⅡ(132㎰)、1963年には3000MkⅢ(150㎰)へアップデートするとともにパフォーマンス向上が図られ、1968年に生産終了するまで多くのスポーツカーファンを魅了し続けました。
■ 開閉機構付